1年半がかりで音パソ環境を模索してきた結果、当初購入したパソのスペックが今となっては半ば時代遅れだったりして、我ながらちょっと面白おかしい気がする今日このごろ。
制作のパターンというか、何がどうなっていけば曲が形になるのか、っていうようなことを学びたかったんだよね、要は一度。それでものすごく丁寧に、いろいろ試行錯誤しながらやっていました。
身体の問題も相変わらずだし、体調の都合を見ながらエネルギーをやりくりして、ちょっとずつちょっとずつがんばっていたら、あれやこれやで1年半もかかってしまった。
それでもどうにかこうにか、教材として選んだ1曲を、聴けば聴けるような状態にまで仕上げてくることができました。まだもう少しいじるかもしれないし、一部録り直しを考えているパートもあるけど、もうそう大きくは変わらないと思う。・・・技術的な限界からいっても。(汗
『シルエット』というタイトルの、もうずいぶん前に作った曲。トップページの音楽プレイヤーを再生すれば聴けます。
http://www.karasunouta.com/
あるいは一応、その曲そのもののページもあるのでそこで聴くこともできます。
http://www.karasunouta.com/songs.php?title=silhouette
そんなのはもういいから、何か新しいの作れよ、と自分でも思わないでもないけど、自分の曲の価値を僕は確認したかった。
価値、というのも奇妙だな・・・なんといったらいいのかな、つまり、過去数年間においてやってきたことの意味を自分自身に対して証立てたかった、というか。
まあ、ここに多くを書いても意味がないので、それは後日にでも譲るとして(←「今後ともいっさい書かない」なんて潔い態度を僕に期待したりしないように!)、今日はとりあえず告知までということにしておきます。
先日の『ツラい冬』というタイトルの日記、某所にアップしてる同文にいくつかのコメントをいただいているので、それへのレスコメントのいくつかを転載することをもって続報に代えます。
元コメントがないと意味が通らない部分も出てくるかもしれないけど、そのへんは想像力で。
つらいできごとについて何度も言葉を改めて書き直すのもあまり前向きな作業とはいえないし、レスコメントだからこそ素直に書けることもあると思う。
そして内容的にいうと、あまりにも素直な上に詳細きわまりないので、猫って生き物に思い入れのない人にとっては非常に・・・まあなんというか、読むに耐えないものになっているという自信があります。(笑)なのでそういう向きには一応、読まれないことをお薦めしときます。
なお、それぞれのお名前のみイニシャルに変更してあります。
***********************************
2008年11月30日 13:55
Jさんどうもありがとう。ボルボンは先ほど息を引き取りました。
母が電話で叩き起こしてくれて、「ボルボンの息が弱まってきたよ」ということで、急いで下りてきたけど、残念ながらもう、僕の感じだと手遅れだったな。死に目には会えなかった。
ただ、昨日もうダメだと思ってだいぶ泣きながら見ていたときに、心の中であきらめがついていたのか、今日はあまり涙も出ないや。(笑)
ただ寂しいな、と思うだけで。
昨夜、ずっとそばについている間に、「なんだか、死ぬのを待っているようだな」と思ったんだよね。
明日も明後日も会うんだと本気で思っていたら、寝ないといけないし、生活しないといけない、パソバイトが再開できるかとか音パソができるかとか模索しないといけない、ってことなんかを思って、多少後ろ髪を引かれながらもボルボンの元を離れて、考えていると眠れないからことさらにボルボン以外のことを考えるようにして眠りについた。
でも結果的には、それが死別ということになってしまった。
しょうがないねえ。(嘆
まあ、僕としては今後もがんばるだけです。猫抜き(?)で。
よく8年も生きてくれた。いつも寒い寒い夜に外に帰っていくときも、ボルボンは最終的にはいつも潔く出ていったけど(帰りたくなくて、けっこう粘る日もあった)、本当は身体には辛かったんだろうなと思う。
動物はみんな潔い。生きられる範囲を精いっぱい生きようとする。
それに8年前、僕の犬は最後に苦しんで死んだけど、ボルボンはどうやら静かな最期だったみたい。結局、老衰ってことになるのかな。
それが救いだと思います。
どうもありがとう。
***********************************
2008年12月06日 04:57
皆さんどうもありがとう。
客観的に見れば、あるいはボルボンの主観からすれば、わりと満たされた大往生だったはずだ。・・・という気持ちもあってか、精神的には意外と早く落ち着いてきました。
今日飲んだくれ気味になっているのは、単に僕自身の体調がずっと悪くてヤサグレてるせいが9割で、ボルボンの件は残り1割くらい(?)です。
精神的に立ち直ってみて初めて、うわあこんなに調子悪かったんだ、ということが浮き彫りになって、動けない自分にいたく凹む。
という段階に移行しつつあるわけです。(何
***********************************
2008年12月06日 04:57
Tさんどうもありがとう。
10年ほど前、ボルボンやリオネラの親世代に当たる数匹の猫の面白さに気づいたときが、彼らとの交流の始まりでした。
ティムールという男前だけどちょっと小柄なボス猫がいて、その弟分の大柄だけど頼りないミュンスター、天然でちょっとおバカな雌ネコのボルボワ、という3人組で。そのボルボワが、リオネラとボルボンという奇跡的な兄妹(と、なぜか紛れ込んだ愚鈍なボルボフという猫を合わせた正確にいえば3兄弟)を生んだ。
そういうやつらに出会うまで、僕は猫という生き物がこんなにも個性的で、個体差が激しくて、賢いやつは別の生き物であるかのようにとことん賢い、ということに気づかずにいました。
出会えてよかった、とはものすごく思う。でも、彼らがいなくなってみると、まるで幻のようです。
ほんとに賢い一族で、彼らの中には非凡な猫がたくさんいた。その中でも最高の2匹がリオネラとボルボンで、そしてボルボンとの縁は本当に長かったから。
ボルボンがそれなりに長命で、しかも静かな最期だったおかげで、いわゆるペットロスは長引かずに済みそうだけど。
でも、「彼ら」全体との別れは、心に大穴を空けることになりそうです。(笑)ほんとに寂しい。
あんな猫たちが本当にいた、ってことを、生き残りのつまらない野良猫たちばかり目にする中でも、忘れずにいたいものだと思うけど。
あまりにも生き物としての立ち居振る舞いが違いすぎて、いつしか過去を美化してるような気がし始めそうで、怖いくらいに思えます。
> 写真のボルボンが、私の顔まで綻んじゃうくらい幸せそうに見えたので、
> 日記を読んで、信じられない気持ちでした。
幸せそうに見えたか・・・。Tさんにそう見えたなら、きっと本当に気持ちが安らいでいたんだと思えます。
僕は、ボルボンが苦しんでいる、大変だ、という意識で一杯だったから、あの写真ももうそういう目で見ることができないけど。実際はそうだったんだろう、たぶん。
そうだったとしたら、ずいぶん救われる、僕は。でも、もし死ぬとわかってたら、最後の一夜は絶対に一緒にいてあげるんだったなあ。
何度か、起き上がっては位置を変えて、最後は母の膝の上に来て、ゆっくり弱っていったらしい。僕がいたら、どうしたかなあ・・・。
僕の膝の上に来たのかどうか、わからないけど。本当は、いてやれたらよかった。
***********************************
2008年12月06日 05:10
Cさんどうもありがとう。
僕はここまで悲しい動物との別れはたぶん3度目で、そのうちの1度目は、まさに飼っていた犬の死でした。
でもそのときも、・・・僕は死に対するセンスがたぶん鈍いんだな。(笑)ウィスキーを飲みながらネットを見ていて、深夜になって突然、玄関に入れておいた犬が急激な発作のようなものを起こして大きな声を上げるまで、まさかその日が別れの日だなんて思いもせずにいました。
死ぬときは、動物ってものは(人間も)死を悟るものなのかなあ。そうだとしたら、そういう生き物たちの気持ちを汲み取れた試しが僕はなくて、その点がなんだか、改めて悲しい気がします。
死ぬときは、たとえ意識が朦朧としてよくわからなくなっていても、やっぱり寂しいもののような気がする。
いてやれたらよかったのに、とすごく思ってしまう。犬は僕が駆けつけたのがわかったかどうか・・・せめて、わかっていてくれたらいいな、とすごく思うし、でもそう思うくらいだったら、なんで今夜がその夜かもしれないと気づく程度の感覚も持てていなかったのか、と思わざるを得なくてやるせない。
ちゃんとお別れをしたかった。あのときも、今回も。
でも今回のボルボンはせめて、大好きなコタツ布団の上で、母が一緒にいたから、よかったんだと思います。
***********************************
2008年12月06日 05:10
ほんとにそうですね。人の猫が死んでさえ、思い入れもあって芯から寂しいものなのに。
いつかまたあんな猫たちに会いたいなあ。
でも、何かものすごい隔世遺伝でもない限り、僕のいる地域はもうダメです。(笑)残念ながら、ほんとにほんとに・・・もう、ダメ。(謎
利口な猫って、好奇心が旺盛で、好奇心が旺盛な猫は結局、たいがいの場合交通事故で死ぬんですよね、野良猫の世界では。
ボルボンは数少ない慎重で賢い猫でした。隙というものがほとんどなかった。
僕がしょっちゅう名前を出すリオネラは、ボルボンとは対照的に、性格的に天然でなおかつ賢い猫で、ほかのどんな猫よりも好奇心が旺盛で。そして彼は2歳にすらなれなかった。
長命だったボルボンが死んで、とうとう誰もいなくなった。
ほんとに寂しいなあ。(涙