ウォーキングの行きがけに、投票に寄ってきました。
今日の今日まで迷ってたものの、今回は政権交代の可能性もきっかりゼロではなさそうだなと思って。
投票したのは、とうぜん民主党。
現実としては政権交替までは届かなかったけど、民主党はまずまず成功したと思う。
自民党の支持層を多少削って、なおかつほかの野党のなけなしの勢力をもだいぶ削いだわけだから。
あとあと影響が大きいのは案外、後者かもしれないと感じています。
2大政党制「らしきもの」が構造としてできたことによって、今後の自民党への批判票は軒並み民主党に入ることになるだろうから。
あとは数年間、内部抗争にさえ気をつけていれば、2大政党制が確立していくはず。
そうなれば、おのずと次回の選挙での政権奪取も見えてくるわけだ。
社民党の土井さんなんかも、そろそろ小沢さんのやり方を見習って、「一兵卒となって」民主党に合流する、という選択肢を考えてみてもいいときだと思う。
ポストなんかなくたって、知名度さえあれば発言力はある程度確保できるんだから。
さらには、これで自民党内部の反・小泉派が活気づくだろうということ。
そして、彼ら反・小泉派が小泉を引きずり下ろした場合、自民党の人気はさらに凋落の一途をたどるだろうということ。
などなどに期待しています。
大前提としてはやっぱり、菅・小沢・岡田といったあたりが内輪もめして自滅しないこと。
自滅せずに、少しずつでもほかの弱小勢力を吸収合併していくことに徹すれば、前途はかなり明るいと思う。
それはそうと、投票所が僕の卒業した小学校の体育館だったので、数年ぶりに母校の校庭を歩いてきた。
真新しい妙な銅像が建ってたり、かと思えばボロボロの鳥小屋が未だにそのまま使われてたりと、いろいろ懐かしくもないではなかった。
僕は中学から身体をおかしくしたから、そこから先は嫌な記憶があまりにも多くて、素直に母校として懐かしめるのはこの小学校しかない。
そんな事情もあって、今日はなんともいえない思いが確かにありました。
選挙に向けて、徐々に高まってきている改憲論議。
いま母と弟が見てるテレビでも筑紫さんがその話をしてるけど、大筋は「改憲か護憲か」の争いに終始してるみたいですね。
その流れでいうなら僕はやや護憲寄りだけど、本音をいうならそのどちらでもなく、「訳憲」を主張したい気分です。
「訳憲」の訳は、いうまでもなく「現代口語訳」の訳。
国会議員もある種の国民も、このところわけ知り顔で改憲の話をしてるけど、ちょっと考えてみてほしい。
一体そのうちの何人が、憲法をちゃんと読んで理解してるんでしょうかね?
遠慮なくいって、僕は一握りだと思っています。残りは全部、ただの頭カラッポの小理屈言いたがりのニセモノ君たち。
この言い分に、何か反論のある人いますかね?
読んでもいなければ理解してもいない憲法について、大真面目にいいの悪いの言ってるのって、僕にはすごく不自然に思えます。
そういう彼らの気負い込みようが滑稽でもあり不快でもあり。
少なくとも、僕は現行憲法について、いいか悪いかはっきり判別できる自信がありません。
せいぜい思うのは、現行憲法の「非戦」の規定は日本という国家の絶対的なアイデンティティというか、将来的にウリになるはずのものだから、安易に削除しないでもらいたいってことくらいだな。
それ以上の、憲法全体についての評価を訊かれても、僕には答えることができない。いわば、無知ゆえに。
で、この「いいか悪いかわからない」って状態は、自分でいうのもなんだけどかなり危なっかしいものだと思っています。
誰も問題の本質がわからないまま議論だけが沸いてるとき、そこにあるのはただの気分だから。
現行憲法を知らずに改憲を叫んでる連中は、まったくの気分だけで世論を煽ってるに過ぎない。
そういう無智な連中が好き勝手を言っていられるのも、日本国民の多くが現行憲法を理解できていないからです。
そして先回りして言わせてもらうと、「理解できないほど難解な憲法なら、やっぱり改憲するべきだ」というのも暴論に過ぎない。
理由は簡単で、改憲すれば憲法の理念そのものも変わることになるから。
その変化が、果たしてプラスかマイナスか、現行憲法を把握できてない国民には評価のしようもないことになる。
憲法改正っていうのは、ただでさえ巨大なリスクを伴うものです。
改正の主導権をどんな主義主張の人間が握るかによって、いつの間にか思いがけない憲法が出来上がっちゃう恐れは決して無視できない。
「不磨の大典なんてナンセンスだ」という主張は一見もっともだけど、不磨には不磨の価値があるってことは理解してなきゃいけないと思う。
だから、まずは訳憲をしてほしい。学者レベルの個々人の努力じゃなく、あくまでも国が主導して。
遠回りなようでも、それが唯一の解決策だと僕は思っています。
訳する際、微妙な解釈の違いで議論になるような箇所は、すべて割り切って直訳にして、それによって曖昧な箇所を浮き彫りにしていけばいい。
そうすることで、「改憲なら改憲で、現行憲法を叩き台にするのか、まったく新しく作るのか?」などという先走った議論に対しても、それなりの答が見えてくるはずだから。
卑屈さは伝染しやすいものだ、と最近つくづく思います。
人から人へ、どんどん移って拡がっていく。ギリギリのところで耐えて、前に向き直るきっかけを探しつづけている人を、いとも簡単に絡め取ってしまう。
そうして、そのことを思うと、僕は今さらながら判断に迷ってしまう。
今のような自分自身の境遇をHP上でさらけ出すということが、果たして正しいのかどうか。
弱音は吐き出せばきりもなくて、積み重ねればいつしか卑屈さに変わって発酵していくものらしい。
それは、いってみればその人間の放つ腐臭のようなもので、人を遠ざけるばかりか、本人の内部で悪循環をも生んでいく。
悪くすればそのまま、埒もあかないバカな愚痴を、えんえん吐き出すだけの人間になってしまいかねない。
卑屈な愚痴しか言葉にならないようなコンディションなら、その人は沈黙しているべきだ、というのが僕の基本的な考え方です。
その考えに従えば、僕はかつてやっていたように自分の境遇をひた隠しにしていた方がよかったのかもしれない。
浮世離れしたスタンスで、歌や詩だけを公開して。
だけどその一方で、僕がずっと心惹かれてきた複数のサイトの存在がある。
包み隠さず本音を語って、弱音や愚痴も交錯する中でなお、きらりと光るものをのぞかせているサイト。ああこの人は腐ってない、僕も頑張らなきゃな、と心から思わせてくれるような。
だからこのサイトも、来訪する誰かにとってそういう存在になれればいい。
僕はそう思って、HP上で自分のことを隠蔽するのは基本的にやめにしたわけだけど。
それからおよそ2ヶ月。
ここしばらくの不調もあって、僕のHP日記帳はやや愚痴にも似た、お世辞にも前向きとはいえない記述が並んでいる傾向にあるような。(笑)
果たして、どんなもんか。
腐った人間は、決して自分が腐っていることに気づかないだろうと僕は思う。
ひょっとしたら、僕が心を動かされたサイトのオーナーたちも、内心はそういう疑問や葛藤を抱えながら、それでもハラワタをつかみ出しては投げつけるようにして自分自身をさらしつづけてるのかもしれないし、そのへんは本当にわからない。
毅然としているつもりでも、いつの間にかどこかが変わっていくことって、僕はあると思うんですよ。恐ろしいことだけど。
ああこの人きょうは疲れているんだな、と思って理解したはずの相手が、いつしか「いつでも疲れてる」人に変わっていくことへの不安。
そうして、僕自身についても、僕は同じ不安を感じてる。
不調や無気力という言葉を、いつの間にか言い慣れてきてはいないか。死に至る病ではないとはいえ、病気を抱えてるという事実を、無理にアナウンスしようとしてはいないか。
疑わしい材料なら、常にいくらでもあって、それに反発する材料もまた山のようにあって。もちろん絶対に、結論は出ない。
結局は、このサイトを見て、いろいろ書いてくれる人たちを通して自分自身を把握していくしかない。
なぜWeb上での話に限るかといえば、実生活での人間関係が希薄なのも1つだけど(笑)、それと同時に、実生活の中では僕は自分の病的な面を決して表に出さないから。
ある意味このサイトだけが、僕の欠陥と、それと表裏の関係にある美点?とを外界に露呈する窓になっている。
乱暴にいえば、愚痴も弱音も構わないと僕は思います。ただ、卑屈さにだけは耐えられない。
卑屈という要素だけは受け入れてしまいたくない。
卑屈さというのは結局、醜さだから。
たとえば僕に人並み以上の賢さがあったと仮定して、その知性が意味を持つかどうかは、それが人間的な魅力につながっているか否かで決まるものだと僕は考えてる。
卑屈さは、魅力につながるはずの美点を全部、鼻につく欠陥に変えてしまう。
そうして、人を遠ざける。優れた人ほど、腐臭を敏感にかぎつけるものだ。
無感覚に残りつづけるのは、卑屈さに免疫のある卑屈漢仲間だけ、なんてことにもなりかねない。……いまの常連には、それらしき人は1人もいないけど。念のため。
だけどそうなったら、このサイトも僕自身も、まさに運の尽きってやつだろう。
気になるのは、「自分をさらけ出す」という美名の下にある限界線。
くどいようだけど、卑屈さだけはごめんだ。自分に対しても他人に対しても、それだけはいえる。
卑屈になるくらいなら、秘密主義に後戻りした方が100倍いい。弱みを口外しないことで、卑屈さのもたらす悪循環だけでも防ぐことができるから。
本当に卑屈な状態に陥ったときには、「自分をさらけ出す」ことのカタルシスに溺れてはいけない。
僕がことあるごとに美意識、美意識とバカの一つ覚えのように連呼してしまうのも、そんな思いがあるからだ。
僕は卑屈になってはいないか。
ことさらに腐臭をバラ撒いてはいないか。
たえず自問自答を繰り返しながら、自分っていう人間にだんだんと目鼻をつけていかなければならない。
当座のことに限っていうなら、治療の成果を待ちながらも、受け身な生活に甘んじてはいけない。ってことになると思うんだけど。
ここしばらく、そのへんのバランスをとるのに苦しんでいる。