ツラい冬
近所に、ボルボンという古株の野良猫がいる。焦げ目のついたハンバーグみたいな毛並みの猫で、世間的にはこういう模様の猫を「キジネコ」と呼ぶらしい。
そのボルボンという猫は、ちょっと見にはわからないかもしれないけど、およそ猫という種族の一般に想像されている限界ラインをはるかに突き抜けて賢い猫で(この猫の兄弟だった「リオネラ」という夭逝した天才猫と並んで)、実のところ、僕にとっては親友と呼ぶに恥じないくらいの特別な猫。
若いころは極度の人間嫌いだったものの、長じてからは毎日のように家に遊びに来て、大して食べ物がもらえるわけでもないのに満足げな顔をして長々と居座り、のんびりと時間を過ごして、やがて外の世界に戻っていく。そんな生活をここ数年間に渡って続けてきた。
そのボルボンが今、どうやら命旦夕に迫っている。
うちのインターフォンが慌ただしく鳴ったのは、今朝の7時過ぎだったかな。
1ヶ月ほど前に風邪をひいて以来の体調不良で、このところ睡眠のリズムもボロボロになっている僕が、あたかも寝ようとしているときのことだった。
こんな時間帯に何ごとだろう、と思いながら、僕は母が玄関を開ける物音なんかを聞きつつなんとなくそのまま眠ったけど、そのとき実は、斜め隣に住んでいる通称「猫おばさん」が、僕の家で極端なくらい愛されていると思しき野良猫のボルボンの様子がおかしい、ということで急報してくれてたんだよね。
「昨日までまったく普通に見えたのに、ほんとに急なことで・・・」と猫おばさんは驚く母に言ったらしいけど、まさにその通りだった。
3日前の昼ごろ僕が最後に一緒にいたときは、せいぜい「痩せて見えるのにキャットフードを口にしない。いつも痩せてるときは食欲があるのに?」というのが気になったくらいのものだった。
そのあと僕は翌日夜まで外出したので、帰ってきたとき母に「ボルボンは来てる?痩せてるのに食べなくてちょっと心配だったんだ」と言ったけど、母は「今朝も外玄関にいたよ」と言って、あまり気になっていない様子だった。
でも現実として、様子を見る限り事態は深刻だという話を聞いて、母は取るものも取りあえず、猫おばさんと一緒にボルボンの様子を見に行ったらしい。
そして今日、僕は午後2時に起きてきた。
風邪の後遺症で頭の回転が極度に鈍くなり、プログラミングのバイトなども思うにまかせないので、いきおい睡眠障害も酷くなってきて、こういう日が最近はずいぶん増えてしまっている。
それで、当初の予定としてはこの調子では動くに動けないし、かといって暗くなって何もせずにいてもしょうがないから、今日は鹿島アントラーズ(サッカーJリーグ)のジュビロ磐田戦をテレビで見ようと思って楽しみにしていたんだけど。
テレビをつけようとした矢先に母に聞かされたのが、そのボルボンのことだったというわけ。
母が朝の7時過ぎに見に行ったとき、すでにその驚くほどの弱りようにショックを受けた、という話だった。
僕は3日前のボルボンの小さな異常が気になっていたから、それを聞いても動転するということはなかったものの、なにしろ呆然としてしまった。
母と連れ立って、急いで見に行くと、母が最後に見たという朝7時の時点と比べてもはるかにはるかに、容態は悪くなっていた。
猫おばさんの夫であるらしい人のいいおじさんが気さくに応対してくれたけど(猫おばさんは仕事のため外出中)、濡れ縁の上の段ボールに入れられたボルボンは、なにしろもうピクリとも動かなくて。目をかすかに動かすので精いっぱいみたいな様子だった。
もう瞳孔も開きかけていて、目の感じがおかしかった。
おじさんの許可をもらって、ボルボンが寝ていた段ボール箱ごと持ち運び、彼女が(ボルボンは雌だ。過去にはたくさん子供も産んだ)たびたび遊びに来ていたうちの和室まで連れてきたものの、ボルボンは依然としてぴくりとも動かなかった。
どこに黒目があるかわからなくなるあの感じ、生き物の死を看取ったことがある人なら知っているだろう。
瞳孔の開いた、この世のものじゃないような目になりかけては、呼びかけや僕の手の感触に応えて焦点を取り戻し、こっちを見る、ということが何度も続いた。ときどき、脚の位置を変えるようなそぶりを見せたけど、それも死を目前にした痙攣に過ぎないようでもあって、僕はもうすっかり希望を失っていた。
でも、やがて満身の力を奮い起こして立ち上がった彼女は、ベッド兼担架の段ボール箱を這い出し、お気に入りの炬燵布団の上に倒れ込むと、それっきりまたぐったりとして動かなくなった。
それを見ただけでも、もういたたまれないほどに僕も涙をこぼしてしまっていたけど、それ以降も、ボルボンはときおり身体の位置を変えるためによたよたしながら立ち上がり、向きを変えては倒れ込み、ということを続けた。
食欲はもうまったく失われて、ハチミツを薄く溶いた水さえ口にしようとはしなかったけど。
何度か、焦点のはっきりしない目で僕の方を見て、特有の「鳴き真似」をして声をかけてきた・・・要は、顔が合っていれば口を動かすだけで人間とはコミュニケーションが取れるということを彼女は知っているので、いつも家に上がり込むときなども、人間と目が合っていれば声を発することなく口だけを動かして、形だけ一声発して(声は立てずに)入ってくるのが常だったのだけど。
それと同じことを、危篤状態の今日に及んでもボルボンは同じようにやっていた。
それ以降、長いこと同じような時間が続いた。
残念ながら食欲がゼロだから、もう持たないだろうとは思うものの、隣の家に引き取りにいったときからすると信じられないほど、ボルボンらしさを取り戻したボルボンが、今も階下の和室で眠っている。
なにしろ、瞳孔が開きかけていたんだ。段ボール箱を運んでくる間にしたって、今この瞬間に死んでも、少しも驚くことはできない、と思っていたのに。
今のこの状況は客観的に見て、当初の状態からすれば望外なくらいの小康状態といわざるを得ない。
僕は昼間の数時間をずっと介護していたけど、いつもその和室を寝室代わりに使っている母に続きを託して、今は自室に引き取ってきた。
僕自身、もともとの虚弱に加えて、最近は慢性的な過労状態でしょっちゅう鳩尾が痛かったりするから、あまり無理はできないんだよね。
明日は、ひょっとすると母が隣の猫おばさんと一緒に車でボルボンを動物病院に連れて行くことになるかもしれない。ただ、なにしろもう危篤だし、動物にとっての危篤はほとんど、いいたくもないことだけど現実として死の予備段階みたいなものだから、病院行きは見合わせることになるかもしれない。
何にせよ、僕はその一点については、明日の朝の病状に基づいた彼女ら2人の判断に託すよりほかはない。
希望は、明日また、ボルボンに生きて会えること。
非凡きわまる8歳の賢者猫ボルボン。8歳って、飼い猫の世界しか知らない人にとってはわからないことかもしれないけど、ノラネコの世界ではほとんど奇跡的な長寿なんだ。
何匹も何匹も、もっとずっと若く、事故や病気で死んだノラネコたちを僕はよく知っている。もう1匹の天才的な猫だったリオネラも、不慮の自動車事故で2歳にもならずに死んだ。
ボルボンはたくさんの子供を産んだ。その中には利口なのも多かったけど、今はそういう魅力的な一族はすべて死に絶えて、どうでもいいような猫しか残っていない。
みんなみんな、早く死んだ。ボルボンの曾孫世代に当たる猫たちでさえ、今はもうまともなのは1匹も残っていない。
ボルボンが死ねば、僕とこの地域のノラネコたちを繋いできた最後の糸が消えてなくなる。もう、僕が交流を持ち続けたいような猫たちは、この地域に一匹もいないということを、僕ははっきりと知っている。
そのことが寂しくてたまらない。
ボルボンはよく、外出から帰った僕を暗闇の中から出迎えてくれたものだった。帰ってきたからといって、べつに僕がたちまちご飯を出してくれるとかそういうことじゃない。ご飯だったら、隣の猫おばさんが至れり尽くせりなものを出してくれるのをボルボンはよく知っている。
でも、いつもボルボンはうちに遊びに来て、ひとつまみのキャットフードに口だけ付けてみたりしながら、何時間も何時間もうちにいた。
友達だったんだと僕は思う。
ボルボンが待っているかもしれない、と思うと、僕はどんなに気が重いときでも、家に帰る気力を奮い起こすことができた。
その命が、奇跡でも起こらない限りじきに消えてなくなる。この現実は、僕にとってかなり重い。
ツラい冬になりそうだ。