自立、ってことが少しまた心にのしかかってきている。
僕は今年1年、いろんな人たちに依存してきたと思う。
これはネット上に限らずだけど、ネット上に限ってみたって実に大変な依存ぶり。
そして、この依存というやつは、「本来は自立していて、いつでも自立状態に戻れる」人がしていれば美しく、「依存せざるをえない」人がしていれば醜くなる、という傾向があると思う。
特に、「自立の余地があるのになんだかんだで依存せざるをえなくなっている人」がしていたりすれば最悪で、僕に好感を持てない人というのは大半、意識的にせよ無意識にせよ、僕に対してそういう認識を抱いているのじゃないかと思う。
僕自身も、そのへんが実は部分的にはあやふやで、「いつ?いつ動き出せる?いつ踏み切ればいい?いつまでに踏み切らないと醜くなる?まだ間に合うのか?一体いつまで?」という自問自答をのべつまくなし繰り広げている。
それが精神的な圧迫になって、たぶん言動からもゆとりを奪っていると思うのだけど。
最近、精一杯コントロールしていたつもりでもなお、ネット上で人を幻滅させていたという手痛い経験をして、どうやら急激にそのへんの意識が高まってきているらしい。
でも、だからといって自分らしいバランスを取り戻す手立てがつかめているわけではないから、少し混乱してしまっている。
たぶん、僕はずっとずっと何年もの昔から、卑屈になることが怖かった。
卑屈になったらおしまいだ、という意識はものすごく強かったし、僕の危険性はもっぱらそこにある、と信じ込んでいた。
だけど、実はそうじゃなかったのかもしれない。
卑屈になるまいとして、必死で胸を張り、背筋を伸ばして、逆に押し付けがましくなる危険だって当然あった、のかもしれない。
まあこのあたりは、まだ憶測の域を出ないけど。
そして、そういう危険性の根というのはひょっとしたら、事情がどうあれ僕が現に自立できていないという一点にあるのかも、とちょっと思ってしまったわけなのです。
極論だけど、誰が離れていっても自分は自分といいうるほどの余裕があるなら、誰も離れてなどいかないんじゃないだろうか。
もちろん性格的なものもあるにせよ、少なくとも僕の性格なら。
でも、余裕がなくて内面がジェットコースターのようなら、どうコントロールしたって自分を維持できない部分がどこかに顔を覗かせる。
そして、そういう「コントロールできない部分」まで含めた全体像がいわゆる人間性というものなので、それを見て幻滅する人だって出てくるだろうし、その幻滅を責めるわけにもいかない。
たとえば、それは本当の僕じゃない、なんていう言い訳は通用しない。
それでも、僕は僕なりに試行錯誤したり軌道修正したりしつつ、自分らしさを守って前向きに、一歩一歩やっていくしかないわけだけど。
トラブルが降りかかるまで、僕はすっかり安心していた部分があった。
少なくとも、この一点では、僕は成長できた、ここでは僕は安心していていいんだ、という甘えがあった、のかもしれない。
でもひょっとしたら、本当に安心できる日なんてものは、文字通りの意味での自立を果たすときまでやってこないものなのかも。
今はなんとなく、そういうふうに思っている。
宇宙の生成と発展、そして1人の人間の一生について。
もともとは花梨さんのブログ「星の方舟」所収のコラム「夜はなぜ黒い?」を読んでのコメントの予定が、衒学趣味が災いしてかむやみと長くなったので、トラックバックという形になりました。
まあ、この話題に関しては、トラックバック元の花梨さんの方が明らかに10倍くらいは詳しいので(笑)、僕がちょっとやそっと背伸びして語ってみたって、べつに嫌味には当たらないと思う。
宇宙の生成っていうのはつまり、例のビッグバンっていう大爆発で「無」から宇宙が生まれて、という話です。
誰でもどこかで小耳に挟んだことくらいはあるんじゃないかな。
そしてわれわれ人類は(宇宙人も)みんな、その原初の大爆発によって生じた衝撃波の内側に広がる「宇宙空間」に住んでいるわけだ。
爆発の衝撃波が猛スピードで拡散していく、その最前線がいわゆる「宇宙の果て」といわれるもの。
だから当然、今もなお、宇宙空間は際限もなく広がり続けているってことになる。
その、我々から刻一刻と遠ざかり続けている宇宙の果ての、さらに外側にあるものは、理論的には多少考えられているようだけど、ほとんど人間にとって認識不可能な未知の領域。
そして爆発と共に宇宙空間内に飛び散った無数のチリの1つ1つが、それぞれ恒星だったり惑星だったりして、それらは星雲や星団を形作って、今なお爆発の中心点から遠ざかるように宇宙空間の中を吹き飛び続けている。
なぜなら、宇宙は無重力で、それらを失速させる要因が何もない(※追記参照)から。
そうした吹き飛び続けるチリの集団の1つが銀河系で、その中の一片が太陽で、その周囲をぐるぐる回るいくつかの星々のうち、中心から三番目の惑星が地球。
その表面に巣食う60億の微生物が人類で、そのうちの1人が僕で、別の1人がこれを読んでいるあなただ。
こういう知識を仕入れたのはもうずいぶん昔のことだから、多少ズレたことも混じってるかもしれないけど。
途方もない話だなあとつくづく思います。
僕の場合は、これを直視すると、どんどん虚無感の方にいってしまうタイプなので、あまり意識はしないことにしているんだけど。
むしろ人間は、あくまでも人間の五感(ないし六感?)の範囲で生きていくもので、その価値に全幅の信頼を置いていていい。
それ以上のことはせいぜい、頭の片隅にしまっておけばいいんだ、と言い聞かせることにしてる。
だって、宇宙がどんなに広く、宇宙の果てがどんなに遠ざかり続けていようと、そして隣の星雲との距離がどんどん遠ざかり、銀河系が孤独に取り残されていこうとも、人間は人間の喜びを喜んで、悲しみを悲しんでいくわけだから。
宇宙の広さに、ロマンや夢を主に感じられるのであれば、それはむしろ素敵なことだと思う。
でも、あまりにも莫大すぎる宇宙というものの空間的・時間的な規模は、どうも僕には否応なく、微生物としての人類のことを思わせてしまうらしい。
そうじゃなく、人間は人間で素晴らしいものだ、と思うには、僕にはどうも、銀河系規模あたりが限界のようなのです。
銀河系からせいぜい、近隣のアンドロメダ星雲とか、その他いくつかの星雲あたりまでがかろうじてロマンの範囲で、それ以上だといわば、ほとんどホラーの領域になってしまう。(笑)
ただただ、怖いなあ、というのが率直な思いだったりします。
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サッカー日本代表の強化試合、横浜での対ドイツ戦。
さっきまでテレビで見てました。
結果は0-3の大敗。
でも選手たちの動きには、特にはっきりした不満はないような。
ジーコの3人同時交代から先、なんとなく戦術が不明確になって、チームもバラバラになってしまったけど、それは選手たちの責任じゃないし。
むしろ、小笠原・福西といったあたりの動きはいつになく切れていた。
稲本は、試合勘が鈍ってるのか空回り気味だったけど、表情は明るく健康そうで、今後の見通しは悪くなさそう。
楢崎の1点目のファンブルや、大久保の3点目の事実上アシストも、腹は立つけどワンプレーだし、根本的な問題ではないと思う。
ただ、トルシエジャパンだったら、とはちょっと思う。(笑)
ジーコの能力は、サッカー不毛の地で布教に励む宣教師としてのそれであって、国際Aマッチの最前線で指揮を執る総司令官や策士のそれじゃない。
たしかに今日は、ディフェンスの中沢・宮本・坪井といった一線級を軒並み欠いて、急造ディフェンスラインで気の毒だった。
だけど、もう少しチームができていれば、それなりに対処の方法はあったはず。
メンバーが抜けたから守備力がガタ落ちだ、というのは、程度にもよるけど基本的には、チーム戦術がなく個々の力に依存していることの証明だ。
今日の試合に限っては、僕は「ジーコのせいで負けた」とまでは思っていない。
だけど監督としての存在感の薄さや説得力のなさというのは、これまでの「ジーコのせいで負けた」いくつかの試合と共通だったんじゃないだろうか。
来年に引きずることはない、とジーコは言う。
例によって、その言葉の根拠は僕には見えない。
大敗したからといって、ジーコの首が危なくなるなんてこともなさそうだし、むやみに言い募ってみたってしょうがないことではあるけど。
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